Igabi父さん。
2006年11月22日(水) その弐 |
たまたま、うちの近くのセトルメントに住んでいたイガビ兄弟のお父さん"Igabi
Tuvo"さん。当時の話を懐かしそうに、時折悲しそうな表情でゆっくりと語ってくれました。
> いつオペに関わっていたのですか?
「1960年代だ。」
> 何歳のころ関わっていたのですか?
「10代の頃だ。」
> どのようなことを行ったのですか?
「頭を開き、小脳の一部をサンプルとして採取しマイケル※1やジョン・マシューズ※2に渡した。」
> どのようにして開頭術を学んだのですか?
「ジョン・マシューらから教わった。」
> ロバート・クリッツマン(「震える山」著者)という当時学生だったアメリカ人は知っていますか?
「知らない。しかし、カールトン※3のことは知っている。」
> なぜオペに関わることになったのですか?
「クールー病患者のオペに関わりたいと志願した。」
> なぜ志願したのですか?
「多くの村の仲間達がクールー病で死んだ。この病気をオカパから無くしたかったんだ。」
> クールーの医者が来るまではどのように治療をしていたのですか?
「黒魔術を信じて行っていた。」
> 効果はありましたか?
「なかった。白人の医師たちが来て原因がわかり、それからクールー病は減少していった。」
> ガナラ(「震える山」に登場するパイガタサの村人)という人を知っていますか?
「知っている。本名はイガナだ。著者が間違えたのだろう。今も村に住んでいる。」
> 今でもクールー患者はいますか?
「いる。パイガタサではないが、隣の村にいるはずだ。」
※1 |
マイケル・アルパーズ博士。クーループロジェクトメンバー。「震える山」では著者のロバート・クリッツマン博士の当時の上司にあたり、国立医学研究所所長(現在のIMRと同じ機関だと思われる)として登場する。IMRの創設者のひとりと考えられる。 |
※2 |
ジョン・マシューズ博士。当時クーループロジェクトのリーダー。IMRの創設者のひとり。 |
※3 |
カールトン・ガイジェセック博士。クーループロジェクトメンバー。クールーの原因究明の功績を讃えられ1976年ノーベル賞受賞。 |
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クールー病の資料を熱心に見つめるIgabi父さん。 |
時折涙ぐみながらゆっくりと語るIgabi父さんの話は大変興味深いものばかりで、次々と驚くべき事実が明らかにされていきました。
ガナラ(本名イガナ"Igana")は実在しました。そして今でも村にいると言います。
Igabi父さんが一緒に仕事をしたクーループロジェクトの当時のリーダー、ジョン・マシュー博士はIMRの創設者のひとりでした。IMRは偶然にもボクが所属するサッカークラブ。IMRではマラリアの調査や拡大防止のための活動を幅広く行っていますが、本部はなぜかマラリアを媒介するハマダラカのいないゴロカ。なぜマラリア汚染地域であるマダンやマプリック(セピック地方)でないのか、ずっと頭の片隅に引っかかっていました。IMRが創設された当初の目的はクールーだったのです。
クールー患者の写真を見せると、Igabi父さんは食い入るように見つめました。
「これは私が診た患者だ。彼女はクールーが発症して瀕死の状態だった。そして妊娠していた。腹を切るとものすごい異臭を放ち、中で赤ん坊は死んでいた。子宮は腐りかけ、それが結果的に彼女を死に追いやったんだ。」
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左上の女性クールー病患者を実際に解剖していた。 |