テプテプ 母なる自然に守られた村    2006年7月28日(金)     記事一覧へ    前の記事へ    次の記事へ
の家族の写真は最近テプテプ村で撮られた写真だ。いまだ汚されず、手つかずの自然が残るこのテプテプ村はマダン州とモロベ州の間の高地に位置している。


プテプ小学校の新しい設備提供のためにEU関係者が教育省の人たちとやってきた。この村へ来るには小型飛行機を使うほかない。しかも天候が良い時に限る。もしそれも無理だったら、祖先のやり方に従うほかない。徒歩である。


プテプ族が文明社会に触れるためには、まずはモロベ州のマーカム渓谷のムトゥジン村まで歩かなければならない。4日間歩き通しだ。その後マダン州のライ海岸のサイドル村まで歩く。これは2日間かかる。そこからボートでマダンまで3時間。文明に触れるために約1週間の旅が必要なのである。


て、話を村で採れる作物に移そう。ここではコーヒーパイナップル、ピーナッツ、ブロッコリー、サツマイモとあらゆる作物がとれる。テプテプ村は年中通して春のような穏やかな気候のため、作物がとても育ちやすい環境なのである。


かし、これらの食べ物はピジン語の言葉を借りるなら"Ol kaikai save sting nating.(オル カイカイ サベ スティング ナティン)"。「どの食べ物もただ腐ってしまう」せっかく採れた作物が、どこにも行き渡らずただ腐って捨てられてしまうのだ。


まに運が良いと、テプテプ村を訪れた小型飛行機に作物を載せて輸送することができるが、そうでなければ腐ってしまう。政府のグリーンレボリューション計画で軍の飛行機が輸送に使われているという話だが、テプテプ村にもやってくるべきだ。


かし考えてみると、母なる自然によってすばらしいものを与えられたテプテプ族に、必ずしも外界のものは必要ないのである。この家族が証明しているように、多くのテプテプ族は自然と見事に調和して生活しているのだ。


日、人間は"文明化"されるべきだという考えが世間では普通である。それにどれだけお金がかかろうとも


60年前、宣教師が山を越え、谷を越え、聖なる言葉とともにこの村へやってきた。彼らが置いていった、塩、砂糖、牛肉の缶詰、お米、そして温かい服はひとたび体験すると、そう簡単には忘れられないものだ。


して大人になった好奇心旺盛なテプテプ族の若者は、外の世界を見たいと山を越え旅に出る。飛行機がなく、それが徒歩になろうとも。


の結果、このテプテプ村にも物質社会の病気が外の世界から入ってきてしまっている。

text by ケビン・パンバ

(了)
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テプテプの典型的な家族。普段着です。


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