忘れられたトーテム    2006年7月24日(月)     記事一覧へ    前の記事へ    次の記事へ
プアニューギニア国の誓いの言葉にこのようなものがある。「私達の強さの源である文化的遺産に敬意を表しよう。」


の言葉は演説や伝統儀式などの公の場でよく使われる。なぜなら、本当に私達がやってることはさておき、万人に聞こえがよいためだ。


POMのゴードン地区からボロコ地区までPMVで行った時のことだ。ワイガニ通りを差し掛かったところで数本のトーテムの柱を見つけた。しかしそれらは、低木の中から何とか自分達の存在を示そうと頑張っているかのように見えた。


のトーテムは90年代後半の都市美化運動の一環として建てられたものである。しかしもっともらしいのはそのアイデアだけで、当時の権力者たちはほとんど目をくれなかった。こういった文化的象徴がパプアニューギニアの起源であり、パプアニューギニア人としての誇りであることに私達は気づかずにここまで来てしまったのかもしれない。


のトーテムはストーリーボードである。近づいて目を凝らしてよく見てみるといい。日常の様々なことがそこには彫られている。一体他にどこでこんなにも多くの先人達の知恵を見ることができるところがあるだろうか。


こにピーター・キンジャップ氏の言葉を引用したい。「今日の文化というものは、単に過去の習慣の産物として捉えるべきではないと思います。文化は現在の我々の振る舞いに刻み込まれているものであり、近代文明が必要とされる昨今、それに直面した伝統的価値の将来に対する人々の態度であると考えます。」トーテムはその例外ではない。そこに刻まれた絵は人々の振る舞いそのものであり、実に生活観があふれている。


るか昔、"書く"ことがされていなかった頃、大事な事柄は話すことで代々伝えられていった。 その後、様々な事柄を記録するために絵などが書かれる事となった。その多くはある儀式のことだったり、食事など生活の些細なことだったり、どこまでも生活に密着したものばかりである。


千もの言葉がこのトーテムには刻み込まれているのである。


の友人はなぜこんな些細なことを記事にしたのかと問うだろう。しかし、私はただ、今後彫り師たちが減り続け、彼らによってつくられたトーテムのような文化の記録がほったらかしにされていくのを見るのが忍びないのだ。

text by ティモシー・ピリンドゥオ
 
(了)
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