語られない話、語られない英雄達 2006年6月2日(金) ![]() ![]() ![]() |
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パプアニューギニアは第2次世界大戦の主要な激戦地であった。多くの戦争にまつわる話が今まで語り継がれ、そのたびに、その時代を生きた祖先たちへの感謝、賞賛の声が聞かれる。しかし、その語り継がれている話の裏には、語り継がれていない話があることも忘れてはならない。 祖父から戦争の話を聞くと、畏れ多い気持ちになることが多い。過酷な戦場で命がけで生き延びた彼らの姿が目に浮かぶからだ。今回、POMの戦争博物館へ足を運ばせることになったのは、その話がずっと心に残っていたからだ。 博物館の中で私の目を奪ったものがあった。「P-38ライトニング」。1942年、アメリカの第39飛行大隊に編成された爆撃機である。「P-38ライトニング」にまつわる話は、あまり多く語られていない。 1942年、それはあの軍神山本五十六が日本空軍を指揮していた時代である。P-38と他3機の戦闘機はガダルカナル島にいたが、アメリカが山本五十六がニューギニアの基地から飛び立つ、という情報を傍受し、それら4機の戦闘機は山本五十六の乗った飛行機撃墜の任務を託されたのだった。 P-38に遅れて他の3機がその任務に向かったが、現場に到着したときにはすでにP-38が山本の乗った飛行機をブーゲンビルのブインへ撃墜した後だった。 1943年、P-38は機体故障のため、ポートモレスビー近くのレアレア村に墜落した。その後1978年、P-38はパプアニューギニア防衛軍により回収され、PNGではじめてこの戦争博物館に展示される戦闘機となったのである。
(了) |
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