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太平洋戦争慰霊碑。 2006年1月24日(火) その弐

【5. 太平洋戦争慰霊碑
 「こんな道を入っていくだかね。」おばあちゃんは心配そう。誰もいない灰だらけの道を進むとそこにあった慰霊碑。戦時中、太平洋の島々で亡くなられた方たちのために建てられた慰霊碑でした。
 「外国は初めてだもんで、おっかなかったけんね、これがあるもんでね、ラバウルにはぜひ来てみたかっただよ。」その胸には色あせた写真。戦時中にマーシャル諸島のあたりで戦死した従兄弟のものでした。

「戦没日本人之碑」とある。


碑には太平洋の地図が描かれています 。


ラバウルの位置にはこのような穴が。常に日の光が差し込むように、とのことだろうか。


碑の文言。


昭和55年。日本政府とPNG政府によって竣工。


慰霊碑の前で写真を胸に。


おばあちゃんの従兄弟の写真。

【6. 山本バンカー
 バスは同じ道を引き返し、さてお次はどこかなと思っていると「着いたよ」。山本五十六元帥が最後に司令を出していたという場所でした。通称「山本バンカー」。灰で埋もれてしまったのか、朽ちたコンクリートと鉄網が寂しく見えているだけでした。中に入ると真っ暗で、ライターを灯すと天井にはラバウル周辺の地図が描かれておりました。しかも日本語で。各都市の名前がカタカナで書かれ、本当にこんなところにいたのかと思わずにはいられません。

なんとこれが入り口です 。


内部。


天井には地図が描かれていた。カタカナ文字見えますか?


裏手もこのように朽ちていました。


このような残骸も。
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