帰ってきた飛行士 -前編-    2006年7月24日(月)     記事一覧へ    前の記事へ    次の記事へ

7月24日はパプアニューギニアのRemembrance Dayです。第二次世界大戦の戦没者を思い出し、その英霊達の活躍を祝う日です。大衆新聞「National」にも多くの戦争に関する記事が掲載されていました。


メリカ人のフレッド・ハーゲシャイマーさん(写真右)。今年5月に90歳を迎えた彼がPNGを訪れました。彼のPNG訪問はこれで15回を数えます。彼が何度もPNGを訪れるその理由とは。。。


レッド・ハーゲシャイマーさん。今年5月に90歳を迎えた彼は目があまり見えず、耳も遠い。しかし彼が若い頃にPNGで体験したことは今でも鮮やかに彼の目と耳に焼き付いて離れない。


「あの日のことはまるで昨日のことのように覚えている。忘れるはずがないよ。」


1942年第二次世界大戦の真っ只中、彼はアメリカ空軍第8航空大隊の中尉としてPNGへやってきた。当時27歳。そして1943年6月5日にそれは起こった。フレッドさんの操縦するP38戦闘機が日本軍の戦闘機に撃墜されたのである。パラシュートで何とか脱出したフレッドさんだったが、着陸した場所は当時日本軍の占領下だった西ニューブリテン州のジャングルの奥深くだった。


の占領下であるジャングルに放り出された彼の手元に残されたのは、救命用具とたった2つのチョコレートバーだけだった。極度の空腹といつ敵兵に見つかるかもしれぬその極限状態の中、彼はジャングルをさまよい続けた。食べ物がなくなるとカタツムリも食べた。そして遂に31日目、アエアエ族の村人たちに発見されたのである。アエアエは今ナンタブ村と呼ばれている。


「私は戦争のヒーローでもなんでもない。本当のヒーローはナンタブ村の人たちだ。」
彼は村人のことを命の恩人だという。


「彼らは危険を承知で私の命を救ってくれた。私を見つけ、食べ物をくれ、手厚く看護し、そして何より日本軍から匿ってくれた。」


時、ナンタブ村から12kmにも満たない場所で日本軍が野営をしていた。日本軍兵士は頻繁にパトロールにその村を訪れたが、村人はみな彼の存在を隠し続け、5ヶ月もの間彼を敵兵から匿い続けたのである。
中編へ続く>>

StreetBeat
右がフレッドさん。真ん中はアメリカ軍航空大隊中尉当時のフレッドさん。


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