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マンギーゴロカ。 2006年12月3日(日)

 遂に出発の日。
 快晴!!ひんやりとしたゴロカの涼しい空気を浴びながらいざゴロカ空港へ!!
 しかし、町は騒然とした雰囲気。聞くと前日、部族間の抗争で人が殺されたらしい。今日は早朝から黒塗りのパプア人が弓矢を持って行進していたというじゃぁ、ありませんか!

 最後までそんなゴロカらしさを満喫しながら、空港へ向かうと多くの知った顔が見送りに来てくれました。
 校長や教頭、ドナたちも!
 ゴロカと別れる時間が刻々と迫ります。がいまだにゴロカを離れる実感なし。

最後にみんなでクリーンニング。


ゴロカ空港で、校長、教頭と。


ドナたちも駆けつけてくれた。


ドナの子供たちから突然のプレゼント!

 パプアニューギニア東ハイランドゴロカ
 世界最後の秘境はボクの中でいつのまにか当たり前の場所になっていました。
 裸足でブッシュナイフを振り回すちびっ子たちにも、パチンコでニワトリを撃ち殺すおじさんにも、コガネムシを食べる女子生徒にも、フクロウが家に舞い込むことにも、もはや驚きません。もうこれは、確かに帰り時かもしれません。

 あまりにも意外なことばかり起こったこの2年間。気候も食べ物も最高で特に人が温かく、ゴロカはボクの第ニの故郷となりました。

 遂に飛行機出発の時。
 両手にビルムや槍を携えて、マンギーゴロカは緑の山の中に拓かれた空港の滑走路に足を踏み出しました。

"パプアンタイパンを読んでくださった方々へ"

 2004年2月。私はパプアニューギニアに来ることが決まりました。私は当初パプアについて何も知らずネットで検索すると、棒的なもので鼻を貫通させた裸同然の村人、何かの幼虫的なものを食べる子供の写真がわんさか出てきました。「こいつはまいったな。」というのが初めの感想です。

 パプアで生活したこの2年間で、かわいいフクロウとの別れ、美しい海でのダイビング、険しい山脈トレッキングなど、どう転んでも日本では得にくい経験をすることができたことは幸せなことでした。

 このHPは当初「パプアニューギニアと言えばこのHP」と言われるぐらいのものにしたい、と大きな野望をもってつくりはじめました。作っているうちに思わぬ展開となり結局その野望は果たせませんでしたが、このHPが自分に及ぼした影響はとても大きかったと感じています。

 HPを通して多くの人と関わり、多くの体験ができたことは私にとって貴重な財産となります。これからは行動の節々におかしなところが現れるかもしれませんが、それはパプアニューギニアの人にとっては当たり前のことです。むしろ、そういったおかしなところを大切にしていきたいと感じています。

 最後に、パプアンタイパンを見てくださった方、パプアンタイパンを通して連絡をしてくださった方、本当にありがとうございました。私はもうすぐ日本に帰国します。できるだけ早くパンクチュアルになることが私の今の目標です。

田中 純吾

 


POMでラジオに出演しました。最後の良き思い出です。
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